多民族国家アメリカで、人種について考える
現在、「Breaking Bread Building Bridges」という、街のプログラムに参加しています。
こちらのプログラムは、”バックグラウンドが違う人同士が交流した時に、どのような変化が生まれるのか?”がテーマ。
国籍・人種・政治的立場・性別など、様々なメンバーが参加しています。
先日は、メンバー全員でのディスカッションでした。
テーマは、「Race(人種)」について。
”Who Are You?”
突然ですが、”あなたは誰ですか?”と聞かれたら、どのように答えますか?
自分を表す言葉を5つ考えてみてください。
私は、「異文化を知ることが好き」「妻」「学生」「日本語チューター」「本が好き」など、自分の性格や家族の一員であること、社会的立場を用いて回答したのですが、参加者の中には「アフリカ系アメリカ人」「ラテンアメリカ人」など、人種に関する要素を用いて回答した方も3分の1ほどいました。
そして、そのように回答した人の中に、いわゆる”白人”の方はいませんでした。
つまり、自分が白人であることを特に意識していない、ということになります。
#Whitepeople
次に、メンバー全員で見たのが「#Whitepeople」という動画。
その中では、下記のような話題が挙げられていました。
・アメリカに住む白人の友人の90パーセントは白人
・「白人差別」という概念(白人であるために、奨学金がもらいにくい)があるが、実際は奨学金の76%は白人の学生が取得している
・アメリカ人のうち、80%は「人種について話したくない」と考えている
・東海岸では、アジア人が急激に増加している地域があるが、英語が話せず、地域とコミュニケーションする意思がない第一世代が多く、問題となっている
また、下記のシーンが印象的でした。
・「白人としか関わる機会がなかった」という白人学生と、黒人学生が人種についてディスカッション。
白人の学生が何気なく口にした「ghetto(少数民族のスラム街を意味し、差別用語にあたります)」という言葉がきっかけで、黒人学生は「ずっとその言葉に苦しめられてきた」と号泣。
・サウスダコタ州のとある地域では、ネイティブアメリカンが大半で、白人は少数派。
そこで暮らす白人の方の、「コンビニやスーパーに入ると他の人からの視線が気になることがある。悪気はなく、好奇心からだと理解している」との発言。
動画を見た後に、下記の文章が紹介されました。
・All modern humans share a common ancestor who lived around 200,000 years ago in Africa.
(全ての現代人は、20万年前にアフリカで生まれた人を共通の祖先としている)
・The conqueror always controls the story.
(征服者が、常に歴史をコントロールする)
ヨーロッパ諸国が様々な国を征服していく中で、人種の概念がちょうどはまったということですよね。
マイノリティとして暮らしてみて
上記の後、私は白人女性の方とディスカッションしたのですが、彼女の出身地にはほぼ白人しかおらず、それが普通だと思って過ごしてきたとのこと。
「マイノリティとしてアメリカで暮らすってどうなの?」と意見を求められたので、下記の意見を伝えました。
・私の住む町(州都で外国人が多く、選挙でもヒラリーが勝利)では、特に居心地の悪さを感じたことはない。
・ただ、初めて会う人と話す時には必要以上に頑張ってしまう自分がいる。
(対等に会話ができる相手として認めて欲しいため)
・田舎の方に行くと、好奇心からじろじろ見られているように感じることがある。
・まれに「ニーハオ!」と声をかけられて複雑な気持ちになる。
セッションを終えて
今回のセッションを終えて、「日本で暮らしてきて、人種について意識もしてこなかった状況って、幸せなことだったんだな・・・」と感じました。
例えば、自分が住んでいる国でマイノリティであったとして、人種を始めとする自分の力ではどうにもできないことで差別を受けたり、何かを行うのにハードルが高かったりしたら、置かれた環境を恨んでしまうかもしれないですよね。
「人種問題」というと、自分の力なんてとても及ばないような存在に思えてしまうけど、「自分が手がとどく範囲の人にどう接するか」という視点で考えたら、できることは色々あるような気がします。
例えば、マイノリティの文化に興味を持ったり、他の人に知ってもらう場を設けたりなど。
他の人種の人と関わることに抵抗があるとしたら、それはただ「知らない」ことが原因なんじゃないかと思うんです。
一人でも他の人種の中に「好きだな」と思える友人がいたら、イメージも変わるし、ステレオタイプを取り払っていくことができるはず。
それに、人種・国籍だけにとどまらず、「違うこと」を認めあえたら、みんなが生きやすくなるような気がします。
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